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皆さんこんにちは、修士2年の青島です。
佐倉研究室では毎年、3ヶ月に一回ほどの頻度で「読書会」をしています。
年度の始めに研究室メンバーで読みたい本、読んでほしい本をリストアップし、その中から課題図書を選定します。
選んだ本を各自精読し、全員で集まって興味を持った点、研究室活動に活かせそうな点などを共有し
事前に設定した議題について議論する会。
みんなでトルティーヤを作ったり、ビールを飲みながらゆるく、時にはアツく議論を交わす。
これが、佐倉研究室の読書会です。
今年度第1回の読書会の課題図書を紹介します。
リチャード・E・ニスベット:『木を見る西洋人 森を見る東洋人 ——思考の違いはいかにして生まれるか』
英題『THE GEOGRAPHY OF THOUGHT How Asians and Westerners Think Differently…and Why』
村本由紀子訳, ダイヤモンド社, 2004年6月
Google Booksに記載された本書の概要が分かりやすいので引用します。
文化によって世界観が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じだと誰もが思っている。肌の色や国籍、宗教が違っても、ものごとを知覚したり、記憶したり、推論したりするために用いる道具は同じである。論理的に正しい文章は、日本語であれ英語であれヒンズー語であれ、正しいことに変わりはない。同じ絵を見ている中国人とアメリカ人がいれば、彼らの脳裏に映る画像は当然同じものである。だが、もし、すべてが間違っているとしたら?本書は、東洋人と西洋人の心や思考のかたちが文化によっていかに違うか、その違いはなぜ生じるのかを科学的に解明する。「世界についての考え方は根本的にひとつである」とする認知科学の大前提に挑戦した知的興奮の書である。(Google Books)
国内外の論文や事例に触れる機会が増えてきたので、東洋と西洋で考え方にどんな違いがあるのか触れてみたいと思ったのが、この本を課題図書に推薦した理由です。
読書会は以下のように進行しました。
この記事では、実験1と議題全体を通してどのような話をしたか紹介します。
次の画像を見て、皆さんはターゲットがどちらのグループに近いと感じますか?
研究室メンバーにもこの画像を見せて同じ質問をし、挙手をしてもらいました。
結果、グループ1に7人、グループ2に4人が手を挙げました。
グループ1に分類した人に、どうしてか訊いてみました。
六車くん「ぱっと見で判断しました。花びらの形を重視しました」
加藤くん「花びらを見た、特に花びらの丸みから、こっちかなって」
やはり花びらが与える印象が強いようで、全体として類似関係にあると感じたグループに分類したようですね。
ちなみに僕もグループ1に分類しました。
一方、グループ2に分類した人はというと
勅使河原くん「茎の形から判断しました」
佐倉先生「うん、僕も同じ」
須田くん「始めは花びらを見たんですけどグループ1には違うものがあったので、グループ2を見て茎が全部同じなのに気づいて、グループ2に分類しました」
全体の雰囲気ではなく、全ての花が「まっすぐな茎をもっている」という合理的理由を見つけて分類していました。
先に結論を言うと、グループ1を選んだ人は東洋的、グループ2を選んだ人は西洋的な思考の持ち主です。
実はこの実験は、ものごとを属性や規則に基づいて分類するか、関係性や類似性に基づいて分類するかをみることで
対象者が西洋的な「分析的思考」、あるいは東洋的な「包括的思考」を持つかを検証するものなのです。
本書では、アラ・ノレンザヤン、エドワード・E・スミス、ビオン・ジュン・キムと著者が、韓国人、ヨーロッパ系アメリカ人、
アジア系アメリカ人を対象に行なった実験としてこのイラストが紹介されています。
ここで、「家族的類似性」という概念を紹介します。
これは哲学者ウィトゲンシュタインが提起した概念で、全ての対象に共通する特性があるのではなく、さまざまな類似性が重なり合い、交差して、全体としてゆるい類縁関係を結んでいる状態を指します。
東アジア人が対象物を似ていると知覚するとき、この「家族的類似性」に影響されやすいと言われています。
著者が紹介した実験の結果は、韓国人のほとんどはターゲットがグループ1に近いと答え、ヨーロッパ系アメリカ人のほとんどはグループ2に近いと答えました。
ターゲットは明らかにグループ1と家族的類似性を有しているので、韓国人がこちらのグループを選んだ理由は理解しやすいですね。
一方でヨーロッパ系アメリカ人は、規則を発見しカテゴライズすることに長けています。
ターゲットの「まっすぐな茎を持っている」という単純明快な規則を見つけ、このカテゴリーを共有しているグループ2を選んだのです。
ちなみにアジア系アメリカ人の回答は韓国人とヨーロッパ系アメリカ人の中間でしたが、どちらかといえば韓国人に近かったそうです。
皆さんはどちらを選びましたか?
ときどきこの実験をして、自分に今足りていないのは東洋的思考なのか、西洋的思考なのかチェックしてみるのも面白そうですね。
「今の時代は東洋西洋が混じっている」
と話してくれたのはM2の杉山くんでした。
「自分自身は普段周りから合理的(西洋的)に見られがちだと思う。でも実験1の結果から(グループ2を選んだ)、本質的には東洋的なのかもしれない」
佐倉先生はこれを聞いて、自分は逆だ、と反論しました。
「最初のきっかけは物事の関係性を見つけていくから東洋的なんだよね。でも直感は西洋(論理的に物事を考える)」
杉浦くん「研究者はその考えなのでは?」
杉山くん「研究は西洋的だね」
佐倉先生「論文は西洋的なんだけど、研究は東洋的であってほしいな」
本書でも述べられていますが、東洋が良い、西洋が良いということではなく
どちらの要素も含んだ融合的な状態が望ましいのかもしれません。
「人は誰しも、あるときにはより東洋人的に、あるときにはより西洋人的に振る舞っている面がある」(p.253)
と言うように、時と場に応じた柔軟な東西のあり方は今後の優れたプロジェクトの運用や研究活動に活かすことができると思います。
議論の中でかなり指摘されていたのは、「自覚」することの重要性です。
自分が東洋的であるのか、あるいは西洋的であるのか。この二項対立に収まるとは限りませんが
自分の思考を自覚した上で西洋・東洋的要素を受け入れ、中庸を目指していきたいですね。
自覚することの重要性は個人のパーソナルな部分や研究・制作活動だけではなく、佐倉研究室全体の活動にも当てはまります。
例えば、まち畑プロジェクトは個々のフィールドが人との繋がりによって始まった東洋的なプロジェクトでありながら
実際にやっていることはそれぞれの敷地分析に偏り西洋的になっているという指摘があったり……。
地域の人にもっと頼ることでシンプルな関係を積極的に作り出して、地域との関係性の中でプロジェクトを成長させ、畑相互の繋がりも生み出す。
今回の東洋西洋の思考によって新たな課題も見えてきました。
データを取る!問いと仮説を立てる!
活動の記録をしっかり残して定量化していかなければと改めて感じました。
佐倉研究室の読書会、いかがでしたでしょうか?
研究室メンバーの興味関心は人によっても、また時期によっても異なることがしばしば。
持ち寄られる本のテーマもバラバラですし、いざ読書会を開くと、議題に対する答えもみんな違い、ユニークです。
でも、佐倉研究室に入ってきたメンバーの関心はどことなく似ているような感じもするのです。
環境系、構造系、歴史系というようなカテゴリーでは一概には分類できない、家族的類似性を持った研究室とも言えるかもしれません。
青島