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【佐倉研究室読書会:アッセンブリッジ】2023年度第二回「分解の哲学—腐敗と発酵をめぐる思考」

皆さんこんにちは、修士1年の田畑です。

佐倉研究室では年に三回程度の頻度で「読書会」をしています。

今年度から読書会のシステムを変えて、1つキーワードを設定して読書会の本を選ぶことになり、テーマは「アッセンブリッジ」としています。

第一回はアナ・チン著の『マツタケ —不確かな時代を生きる術』を読みました。
(第一回読書会の記事はこちらから)

この本では、人間中心的な集合である「コミュニティ」の含む資本主義社会の落とす影について、
「マツタケ」を介すことにより資本主義社会の淵(周縁資本主義)に生きる人々の
多声の中に共生する豊かさを認識することができました。

第一回を踏まえまして、第二回の課題図書を紹介します。
藤原辰史:「分解の哲学 腐敗と発酵をめぐる思考」青土社、2019年6月
概要
わたしたちが生きる世界は新品と廃棄物、生産と消費、生と死のあわいにある豊かさに満ち溢れている。歴史学、文学、生態学から在野の実践知までを横断する、〈食〉を思考するための新しい哲学。

この本は勅使河原さんの推薦で、「アッセンブリッジ」という言葉は用いられていないのですが、
「分解」がコミュニティをアッセンブリッジに変える有効な手段だと感じたため、この本を課題図書として選びました。

分解とは

まずこの本のタイトルにもある「分解」の用法について説明します。
生態学では、ものの属性 ( 何かに分かちがたく属していること ) や機能 ( 何らかの目的のためにふるまうこと ) が最終的にしゃぶりつくされ、動きの方向性が失われ、消え失せるまで、なんども味わわれ、用いられることとされており、本書でも生態学的ニュアンスをつねに念頭に置きつつも、より普遍的な意味でこの概念を用いています。
ものに絡みつく属性が剥ぎ取られ、機能を失い、バラバラにされ、「ただそこにある」「何か作用する状態にある」とき、別の同様なものと合成しやすくなります。

「分解」はツルツルピカピカの現象ではなく、荒々しく、つぎはぎだらけで皮がむけ、中身が飛び出し、過酷で、賑やかで、臭気が充満する現象であり、グロテスクの極みであるようなものです。

それ故、人間社会において分解に加担する人々(分解者)は社会的に軽視されています。

しかしながら私たちの暮らす世界は分解のプロセスの中に生きています。
何かが始まることは「分解する」ことであり、何かをつくるのは分解のプロセスの迂回もしくは道草にすぎず、作られたものの副産物にすぎないのです。

本書では、コミュニティが覆う人間中心的な資本主義社会の歴史的経緯を振り返りながら、積み木やSF小説、分解者、分解の美について展開していきます。

議論について

今回の読書会では、「分解」の建築・都市におけるアッセンブリッジの在り方について議論を進めていきました。

そこで出た面白い議論を抜粋しながら紹介します。

「分解」による建築の動態的思考⇔「復原(復元)」による建築の静態的思考

近年、建築分野においてはリニアエコノミーからサーキュラーエコノミーがトレンドとなっています。
「分解」から建築を生み出すようになり、建築は分解され、別の同様のモノと作用することを前提とした動態的思考の中で生み出されるようになってきています。
その一方で、私たちは建築史学の分野において復原についても多くを学んできました。
両者の思考の差異は形態だけで捉えると、大きな間違えを生みかねません。
「分解」の目で復原を考えるためには、マテリアル=周辺にある材料で建築を生み出すことや構法=人の手だけで作られること、点でのオブジェクトとしての復原ではなく、面での地域としての復原を考えることが重要になってきます。
たとえ建築の形態が変わらずとも分解により生み出され続けているのです。

「らしさ」が蔓延る世界に異議を唱える

環境問題において国際目標としてSDG’sが掲げられていますが、17のゴールは社会にとって環境問題に取り組む「らしさ」の免罪符のような働きをしていると考えます。
私たちはついつい分かりやすいものや簡単なものに飛びつき、難しいことから逃げてしまうことでその場しのぎをしてしまいます。その為、本質を見逃し、コトが起きてしまうのです。
「らしさ」は一部分を切り取って生み出されることが多いです。
従って本質に目を向けるためには、普段見えないような「つながり(アッセンブリッジ)」を認識することが重要なのではないでしょうか。

重心移動を意識する

マツタケも然りですが、本書においては私たちが「分解」を認知することが議論の着地点になっています。
では、認知にはどのような意味があるのでしょうか。
本書を読むことにより、私たちは世界の「分解」としてのレイヤーを少しばかり獲得できたと思います。これにより、今までの常識が少し変わったり、世界の見方が変わってきます。
これは世界の認識の重心がずれたことにより生じる現象だともいえます。
私たちの世界は絶えず揺れ動き、変化し続けています。
「認知」することで世界の傾きに気づき、より多軸的に物事を理解することによって、重心のニュートラルポジションを認知できるのではないでしょうか。
だからこそ佐倉研究室は建築学生だけどまち畑をやる意味があるのです。

エスノグラフィー的手法の重要性ー逆転のユーモア

本書の第四章:屑拾いのマリアのように、私たちが普段置かれている世界から別の世界に飛び込むことは、立場が一変することにより、多くの刺激や楽しさを得ることに繋がります。
学術的分野においてはエスノグラフィーといわれる手法ですが、この手法には「逆転のユーモア」が働いています。
新しい世界に飛び込む、こと資本主義に覆われた社会において新しい世界は脱資本的社会であり、共生的社会であることが多いと考えられますが、これは多くの快楽につながるでしょう。
分解が生活の中に組み込まれることは、大きな循環に繋がっていきます。循環を意識することは世界の大きさを認識することに繋がり、快楽が喜楽になるのではないでしょうか。

リアルとフィクションを考えること

本書の第三章:人類の臨界では、積み木の原理をサイレンスフィクションの作品の中で試した「ロボット」という言葉の発明者であるチャペックが取り上げられています。
チャペックの考えたフィクションは現代(リアル)において多くの示唆を含むものとなっており、工業化社会の行く末を見据えた提議となっていました。
現在、佐倉研究室のプロジェクトは大半がリアルに物事を動かすものであり、実際にカタチにすることが求められています。
佐倉研究室には今フィクションが足りていないのかもしれません。

先日、M1グランプリを見ていたら、令和ロマンのネタの一言にはっとさせられましたので引用いたします。
「どうでもいい正解を愛するよりも、面白そうなフェイクを愛せよ」

正解を導き出すことも重要ですが、愛するのは面白いフィクションでありたいです。

終わりに

今年度第二回目の読書会、『分解の哲学』を読んでいきました。

分解から始まりが生まれる、私たちも細胞分裂から生まれてきました。
この原理を社会に、建築に取り戻していくことにより、新たな始まりが生まれるのかもしれません。

最後まで読んでくださりありがとうございました。    田畑

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