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【佐倉研究室読書会:アッセンブリッジ】2023年度第一回「マツタケ——不確定な時代を生きる術」

皆さんこんにちは、修士1年の田畑です。

佐倉研究室では毎年、年4回、3ヶ月に一回ほどの頻度で「読書会」をしています。

今までは研究室メンバーで読みたい本、読んでほしい本をリストアップし、その中から課題図書を選定するシステムだったのですが、今年度から読書会のシステムを変えて、1つキーワードを設定して読書会の本を選ぶことになりました。

ゼミの際にみんなでキーワードを考えた結果「アッセンブリッジ」を一年間読書会を通して考えて見ることになりました。

そして映えある今年度第1回の読書会の課題図書を紹介します。
アナ・チン:『マツタケ ——不確かな時代を生きる術』
英題『 THE MUSHROOM AT THE END OF THE WORLD…One the Possibility of Capitalist Ruins』
赤嶺淳訳, みすず書房, 2019年9月

概要

この本の裏表紙に書かれている文章を要約文として、掲載します。

「本書は、20世紀的な安定についての見通しのもとに近代化と進歩を語ろうとする夢を批判するものではない。……そうではなく、拠りどころを持たずに生きるという想像力に富んだ挑戦に取りくんでみたい。……もし、わたしたちがそうした菌としてのマツタケの魅力に心を開くならば、マツタケはわたしたちの好奇心をくすぐってくれるはずだ。その好奇心とは、不安定な時代を、ともに生き残ろうとするとき、最初に必要とされるものである」
オレゴン州(米国)、ラップランド(フィンランド)、雲南省(中国)におけるマルチサイテッドな調査にもとづき、日本に輸入されるマツタケのサプライチェーンの発達史をマツタケのみならず、マツ類や菌など人間以外の存在から多角的に叙述するマルチスピーシーズ民族誌。ホストツリーと共生関係を構築するマツタケは人工栽培ができず、その豊凶を自然にゆだねざるをえない不確定な存在である。そうしたマツタケを採取するのも、移民や難民など不安定な生活を余儀なくされてきた人びとである。生態資源の保護か利用かといった単純な二項対立を排し、種々の不確定性が絡まりあう現代社会の分析にふさわしい社会科学のあり方を展望する。
「進歩という概念にかわって目を向けるべきは、マツタケ狩りではなかろうか」。(裏表紙より引用)

この本は私がたまたま読んでいて、限定的な意味合いを持ちうる「コミュニティ」を越える手がかりとして「アッセンブリッジ」の概念を打ち出している点に共感をし、深掘りしていきたいと考えたため、この本を課題図書として選びました。

キーワード

まずはこの本で用いられる「アッセンブッジ」の用法について

本書においては一般的なアッセンブリッジの意味とは異なる定義をしており、アッセンブリッジは本書を読み解く一つの手がかりとしても大きく作用します。

また、文章構成も特定の結論を目指さないアッセンブリッジ(寄りあつまり)になっており、不均質な世界の様子を真似するようであり、私たち読者の頭の中を撹乱させる要因にもなっています。

本書では、多くの魅力的なキーワードが出現します。より理解をしやすくするために図示することでキーワードとキーワードの連関関係を見出し、アッセンブリッジを掴む手がかりとして、議論を進めました。

議論について

今回の読書会ではアッセンブリッジの可能性を探りながら、本書の示す世界を現在の佐倉研究室の活動に、自身にオーバーラップできる接点を見出すような議論の展開がありました。

そこで出た面白い議論を抜粋しながら紹介します。

マルチサイテッド・共同研究による学問としての展開性

本書の形式として、多くの地点でのフィールドワーク・多様な人々による共同研究によって「マツタケ考」を深めています。この形式はまち畑での手法にも応用可能ではないでしょうか。枠組みに囚われることなく、揺れ動くことを楽しむことで、新たな学問の扉が開かれるのではないでしょうか。

自己を取り巻くマルチスピーシーズワールドに触れる=汚染、ダンス

私たちは常に汚染されることで、自己形成が成されます。「私」を中心としたマルチスピーシーズワールドに気づくことで、自己は完結することがない生のアッセンブリッジであることを認識できるのではないでしょうか。マルチスピーシーズワールドで「私」はダンスする。それが同的矛盾の中にあるメビウスの輪のような状態を彷徨い続ける現象を楽しむ生命ではないでしょうか。

疎外された生を結び直す

汚染には実距離が大きく影響します。つまり私たちの生には適した距離範囲があるのかもしれません。資本主義社会の疎外による進歩という共同幻想は今、限界を迎えようとしています。私たちに出来ることは疎外された生を再びアッセンブリッジの網に結び直すことではないでしょうか。それはまち畑なのかもしれません。また、汚染によって発展した歴史を探求することで、生を結び直す手がかりになるのかもしれません。

制度の網をくぐり抜けるコモンズの価値

管理の及ばない、動態的マネジメントの場のコモンズの価値を読み解く。そのような場では利害が一方向的ではなく多方向的に働くことで、偶発的に協働が行われ、場の循環性が生まれています。それは里山なのかもしれない、オレゴンのマツ山なのかもしれない、フィンランドのラップランドなのかもしれない、そして、瓦解・撹乱が起こった場にマツタケは生まれる。まち畑はどうでしょうか。

アッセンブリッジへ連れ出す逆循環的サルベージ

マルチスピーシーズワールドは「翻訳」を通して資本主義社会へ資本として疎外されていきます。この流れを逆行することで潜在的コモンズの世界協働プロジェクトへ人々を連れ出すことは出来ないだろうか。資本のシステムを逆手にとって翻訳を行うことで資本を逆循環させていき、人々にマルチスピーシーズワールドへの気づきを与えることは出来ないだろうか。まずはまち畑から資本主義を撹乱させていこう。

終わりに

佐倉研究室の読書会、いかがでしたでしょうか?

まさか「マツタケ」からこのような議論に展開されるなんて、きっと思っていなかったでしょう。世界の端のマツタケだからこそ、紐解ける現代社会があるのかもしれません。

不確定で、不安定な世界を彷徨う私たちはステップを踏みながらダンス出来ているでしょうか。

まだまだアッセンブリッジの奥は深そうです。一年間の読書会を通して掘っていきたいですね。掘った先は一体どこに繋がるのでしょうか。はたまたどこにぶつかるのでしょうか。
絡まり合う世界を認識しながら、染まる自己を揺れ動かし、生を楽しみながら、次の読書会を待とうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。       田畑

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